では家でやるときに何がひっかかるのか

とりあえず、印象だけをたとえ話を含めて書き散らしてみよう。推敲?そんなものは普段からやってないのであしからず。
 
小学校の国語の授業で、漢字の書き取り●百字とかやってる時に、ずーっと同じ漢字を書いてると、これで合ってるんだろうか、大丈夫なんだろうかと不安になる。
漢字なら、すぐ上に書いてある同じ文字を見て、字形が同じであることを確認すれば、すぐにそれが間違いではなく、単なる目の錯覚だとわかるのだが、身体を動かすことに関しては、家に大きな鏡を置くわけにもいかず、どんどんと「正しいのか」という不安が大きくなる。
これに関しては、ジムに行ったときに、ゆっくりとしたリラクゼーション系ストレッチが効果があるということがわかった。
身体のどこどこのこの辺のどのくらいの深さのところに効いているのを意識してくださいねーという言葉が、その時その時に的確に出てくるのだ。
とはいえ、インストラクターの指示通りに動くのが精一杯で、それを知識としてなり、身体的感覚としてなり覚えることはできなかった。
これが単に「期間が短いから」とか「継続が足りないから」ということならば、ジムに行くにあたってのストレス要因を排除することで、ここを克服することができるだろう。
余談だが、この辺の体験はワテが会社でPCを教えるときに役立っている。この体験をする前は、こちらのペースでさっささっさと操作方法を諳んじ、押しつけていただけだったが、これ以後は、「あわてなくていいからねー、今からやる操作をよく見て、『これをメモして』って言うから、自分に読める字で、あわてずにメモしてねー」と言って、ゆっくりと、質問者がメモを終えるまで次の操作を待てるようになった。
もっとも同じ質問を何度もされるのがいやという理由もあるのだが。
しかし、ここで重要なのは、「メモをしてね」と言うてメモ用紙を持ってくるなり、最初からメモ用紙を持ってきている人とそうでない人の違いである。
非正規業務として教える側の立場に立てば、当然後者には教える気がすっぱり失せるのはご理解いただけるであろう。
では、身体を動かすということにおいて、自分が教えられる側の立場に立ったときのことを考えれば、たぶんワテは多くから見て、後者の方に該当しているのではないか。
ジムでみんながストレッチしてる中、メモを取るという行為をするのはどうだろうかと思うが、それも言い訳でしかないんだろうか。でも、誰もメモなんて取ってないし、取らずとも動きを覚えている。
いったい何年の間「忍耐」して「継続」すれば、動きを覚えられるのだろう、不安にならずに動けるのだろう。
ちなみに、「これだけは『身体で覚えてるんだな』と実感できる」と多くの人が言うラジオ体操ですら、ワテは大抵他人と逆の動きをしたり、どーでもいいところで「卵を持つように手はやんわりと握って」なんてことを覚えてて、そのように動いたりする。
この辺をぐるぐると考えてしまう根幹には、前日のツッコミで指摘された指導者の問題もあろうけれど、どうにも自分の脳味噌にも問題があるような気がしてならないと思うのは、単なる逃避思考だろうか。
さて、そろそろ思考がかなりループしてきたので、この辺にしておこう。
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