根性論信者とヲタは、信者であるというところで相似の関係にあるのかもしれない。

根性論を信奉する人は、その論理に基づいた行動を行った結果、何らかの成功体験を得ている。よって、彼らにとっては根性論と成功体験がイコールで結びついており、習得行動において「楽しむ」というファクターが悪であるという考えを持っている。スポーツが得意かつ大好きだから体育教師になったという、いわゆる「劣悪な体育教師」はおしなべてこうした考え方をしている。そのため、彼らの指導によって、生徒の身体への適切な負荷よりも精神的負荷が上回っていたとしても、その精神的負荷こそが成功体験の源だと考えてしまい、「身体を動かす楽しみ」を教えることなく、ただひたすらに罵声を飛ばす指導を行ってしまう。
しかし、そうした指導は精神的負荷に耐えられない子供にとっては、被虐の連続でしかない上に、被虐されながら習得行動を行おうとするため、身体に適切な負荷がかかることもなく、習得行動が成功体験に結びつくこともない。かくして、そうした子供たちの中には、体育=被虐=損失体験という図式ができあがる。
自分の好きなことを他人に押し付けて、「自分の好きなこと」が嫌いな「他人」を次々と生産していくさまは、痛いヲタと非ヲタの関係にも似ているような気がする。