ボールを投げるの話

日曜日にラウンドワンに行く前に、こんな感じ?と言うてワテがそれっぽい動きをしてみた。すると以前の腕しか動いてない動きよりはかなりマシになってるらしい。そうなれたプロセスというのはこうだ。

  1. 先月書いたエントリでやっとこせ脳味噌で理解した
  2. その前に見た映像を脳内で咀嚼してみてそれとの一致をさせて見た
  3. さらに1ヶ月掛けて脳味噌の中でその2つが綺麗に混ぜ合わさった

かくして、「運動音痴じゃない人がボールを投げる格好」に近いものがやっとさっとこ生成されるようになったわけである。
今、大人になってそういうイメージが脳内で作れるからこそ、そうしたものが生成されるようになったのであって、これがガキの頃であれば、そこに行き着くまでにはかなりの革命的な指導と長期にわたる努力が必要だっただろう。
そんな話を車の中でしつつ、一旦前述のジムで自転車のこぎ方を教えてもらったり、せんせーの方がトレーニングマシンに夢中になったりしてた。最初のウチはマシンを薦められてもよーわからんと断っていたが、楽しそうにマシンを使うせんせーを見ているウチに、何度目かの推奨にやってみようかなーと答えることになった。そしてまたもや驚きが訪れる。それは船をこぐような動作をするヤツをちびっと試してみた時だった。取っ手を持ってワイヤーを引っ張り、上体を後ろに反らせる。このときに「腹筋に力入ってるでしょー」と言われたがさーっぱりわからんかったのだ。
で、せんせーはここでワテの腹に手をやって、腹を押さえながら同じ動きをさせた。するとどうだろう。分厚い脂肪層の下で何かがうごめいて、腹を押さえてる手を押し返すのがわかった。
これが以前に行ったジムのトレーナーなら、自分がやってみせて、その腹を触らせ「ここが動くんですよ」とやっておしまいなのだ。もっとも他人であるジムのトレーナーと友人であるところのせんせーとでは、できることに差があるとはいえ、当然せんせーのやり方の方がとてもわかりやすいわけだし、毎日運動をしまくって人体模型かと思うような筋肉のついたトレーナーの動きよりは、100倍は知覚しやすいのは言うまでもない。ああ、これが有能な教師というものかと思った。
さて、その後ラウンドワンでも同じような驚きが待っていた。
手際の悪い入場手続きにぶーたれながら、なんとかキャッチボールレーンの待合いベンチの前に立ったワテに、せんせーが言う。
「あんな、そこの投げよる人の脚の動き見ときや」
そんなところに注目すること自体が驚きだったし、投げる力をそんなところを使って生み出しているという事実を三十路を過ぎて初めて知ったカルチャーショックは大きかった。
そして、我々がレーンに入れる状態になり、中に入る。まずは捕球の仕方ということで、せんせーは30cmも離れてない距離から、出来る限り目線より低い位置にボールを投げるところから始めた。そこから徐々に遠くして行き、3mくらいのところでしばらく捕球ばかりをやった。こちらから返球する時は下手投げだ。ボールが届かなくても転がってせんせーはボールを追いかけて取りに行ってくれた。
距離が5mほどまで離れたあたりで、上手投げのやり方を教えてくれた。最初は右足を後ろに残すことばかりに意識が行ってしまい、ボールは常にあらぬ方向へ。距離も届かなかったり大きく越えたりとバラバラだ。そこで、せんせーは、手首のスナップを効かせることを教えた。すると距離は安定したものの、ボールの飛ぶ方向は相変わらずバラバラのままだった。
次に、左腕を前に出してグローブの先をしゃがんでミットを構えるせんせーの頭の上あたりに合わせ、その手の先をめがけて腕をおろすように指示した。すると飛ぶ方向は次第に安定しはじめたが、「そうそうそう、その感じ」と言われた次の投球はやはりあらぬ方向にトンでいくのだった。
さらに、左足を前に出して、一旦停止し、その後上体を動かすという動きを指示した。何度かやるウチに真ん中に飛ぶ確率は少しずつ高くなっていった。
返球時の捕球はボロボロのままだったがw
そんなこんなで10分が経過し、汗だくになったワテとせんせーはキャッチボールレーンを後にした。
この日「自分もボールを投げることができるんだ」という33年間自分の中になかった記憶がそこに残った瞬間だった。

今日も自分の生徒に「なんでできねーんだよ!」と叫んでしまった体育教師の皆さん。どうか「できない」記憶を「できる」記憶にしてあげてください。「できない」記憶はあなたが思っているよりも長く子供たちの心に残っていくのですから。