今日の?検索さんより

体育 苦手 劣等感 - Google 検索
http://www.crn.or.jp/LIBRARY/SYOU/VOL201/
1999年に発表された研究結果である。
さらさらっと全文を読んでみた。
一部にジェンダーバイアスとかセクマイなんて見えてねーなとかなんかどっちかの方向に誘導しようとしてませんか?的なところも見られるが、全体的にはきちんと統計的手法が使われていてサンプル数も多くいい研究だと思った。
特に運動が苦手かつ勉強が得意な子供が、激しい自己否定感を抱え学校の中で孤立しているということを浮き彫りにしているところは大変評価できる。
ちなみに、その属性に居る自分の経験からすると、頭が回ってしまうが故に、自分の中に芽生えた劣等感をものすごい勢いで言語化し、自分の脳内に浮かんだ言葉で、さらに劣等感を強化し固定化してしまうのだろう。
実際、自分の脳内に湧いた言葉で自分自身をいじめて泣いてしまうということがよくあったのだ。
たとえば、6時間目の体育の時に「使えねーな!」とか言われると、帰り道、校門を出たあたりから脳内でこんな思考をしはじめていた。

なんで使えないんだろう、運動が不得意だからだ、ボールが上手く投げられないからだ、なぜ投げられないんだろう、練習できないからだ。なんで練習できないんだろう、だって家のそばで練習してたら、すぐボールぶんどられていじめられるし、おとんはたまにやってきて小銭置いてどっか行っちゃうだけだし、おかんは仕事で忙しいけん練習の相手なんかさせたら悪いし、そういや、こないだ担任の先生が「お父さんとキャッチボールでもしなさい。」言うたなぁ。ほんだけんど、あの先生ウチんくにお父さん居らんの知っとるハズやのに。なんで片親って言うだけでこんな風に言われなイカンのかいの。自分は社会の隙間で生きていくしかないんかいの。

と、だいたい担任の先生の過去の発言を思い出したあたりで校門を出て数分経過していて、周りに同じクラスかつ近所に住む同級生がいる中、帰り道を歩きながらすすり上げるように泣いていたものだった。

いずれにせよ、この研究によって見いだされた「性格的に運動をやろうとしない運動嫌い」が近年に居るようになってきたのではなく、実は80年代からそうした子供がいたことをここでは主張しておきたいところだ。
つーか、幼少の頃からおにごっこ系の遊びで常に鬼になってて、激しく劣等感を育て上げていってましたが何か?