灯りが見えることがある。

ついったで、「お彼岸」という言葉を見て、ふとばーちゃんのことを思い出した。

お彼岸には、やさしかったおばーちゃんがいるのかな。まだ喧嘩するおねーちゃんは来てないから、○ちゃん、○ちゃんって優しくしてくれるのかな。もう娑婆は辛すぎるよ…。
こんな日はさだまさし防人の詩でも聞こう。
彼岸って言葉から、ばーちゃんを思い出して、ばーちゃんが死んだときに流せんかった涙のぶにを、今、ちょっとだけ使うことができた。
ばーちゃんが死んでから、もう10年近く経つのにねぇ。あのとき泣くこともできなくて、なんにも考えられない自分がおかしいんじゃないかと思ってたよ。
カーチャンとくだらんことで言い争って、死に目に会ってやれなくて、それが、ちょうど宗教の帰りだったんだよなぁ。
あんなに優しくしてくれたばーちゃんの死に目にもあわせてくれねぇ宗教なんて要らんと思ったなぁ
親の兄弟たちが語るばーちゃんは、とってもADHDくさくって、エキセントリックなエピソードしかなかったけど、ワテの記憶の中のばーちゃんは、いつも私を優しく呼びかけてくれて、泣いてるときも、優しく「泣かんので、泣かんので」って頭なでてくれてたなぁ。
ばーちゃんちには、意地悪な従姉と男なんやけんってのが口癖の叔父がいた
従姉に「オトコオンナ」って言われるのもイヤだったし、叔父に男なんやけん、くらっしゃげたれーって言われるのもイヤだった。
ばーちゃんだけは、ワテが泣きながら帰ってきても、どしたんな、泣かんので、泣かんので、って優しく言ってくれたなぁ
ひょっとしたら、ワテと同じように二号さんの子だったじーちゃんに、優しくしてやれなかったのを、ワテで解消してたのかもしれないけれど、外で、二号さんの子だからって、イヤな扱い受けてたワテにとっちゃ、よりどころだったんだろうなぁ
叔母に「○ちゃん!」って呼ばれるのはイヤだったんだけど、ばーちゃんに「○ちゃん、○ちゃん」って呼ばれるのはイヤじゃなかったなぁ。