洗脳されていたと考えるならば

ジムで嘲笑われているかもしれないと思うのは、その結果なのかもしれないし、ワテのそばを通った女子2名が「気持ち悪いよねー」と通りざまに発言してたのも単なる偶然で、ワテの方が過剰に受け取ってるだけかもしれない。
「苛められる側にも悪いところがある」なんて詭弁を信じ込んでいたのも、洗脳による悪循環なんだろう。
「いじめられる側が悪いという洗脳」→自分が悪い、バカだという思いこみ→それを明に暗に露呈する行動を取る→さらに洗脳が進む。
小3の頃までは、親戚に「肺病になるぞ、もっと食わせ」と母が注意されるほどガリガリだったらしいし、給食もヘタすりゃ5時間目までかかって食べきれなかったらしい。もっとも5時間目まで〜のエピソードは、あまりにマズくてしょうがなかった野菜か何かを飲み込むのがいやで、帰るまで口の中に残しておいて、どぶに吐き捨てただけなのだが。ここは潰えてしまった小3以前の記憶の中で数少ない鮮明な記憶だ。
あと、ガリガリだとバカにしてた連中が、ワテが小4になって急激にデヴになった途端に、今度はデヴだとバカにし始めたのもなんとなく覚えている。
ああ、人間て勝手なものだなぁと子供心に思い覚えているのだろう。
しかし、なぜにこんなに恨みったらしい記憶しかないのだろう。「小学校時代の楽しい思い出♪」なんてものを思い出そうとすると、かなりの時間と脳労働を要する。困ったものだ。
もしかすると、これも洗脳の結果なのだろうか。学校は楽しくない、物をなげつけられ、なぐられ、なじられるために毎日を過ごしているウチにこうなったのだろうか。記憶があやふやである以上想像でしかないのだが、なんとなくそうだったような気がする。
さて、そんな少ない記憶を思い起こす作業は、横に置いておくとしてだ。
「生きていくことができないかもしれない」という不安が洗脳の結果であるとするならば、その後の刹那的な行動も説明がついてしまう。
では、洗脳から抜け出して、生きていてもいいんだと自己受容するにはどうするべきなんだろうか。そう思っていると、昼に右の記事を見つけた。MSN-Mainichi INTERACTIVE こころの世紀
絶対受容かぁ…。
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