そこまで書いて手が止まってしまったので

別のことを考えてみる。
運動において「間違いなのかも」と不安になるのが、洗脳の結果だとするならば、「実は個人で行う運動において『間違い』なんてものはないんだ」と思いこめば済むことじゃなかろうかと思ってみたりする。
実際のところ、こうして掘り返していってて、やっと今日の帰り道、車の中で、ああ、あのときキモいって言われたのがつらかったのかなと思い起こすことができたし、それはただの杞憂でしかないんじゃないかと思い至ることができた。
え、こんなことを5日も書いてる時点でキモいって?
ごもっとも。
なーんて落ちで終わらせようとするのも、「自分はバカだ」とどこかで思いこまされているのかもしれない。
だからといって賢者だと思うほど自信もないのだが。
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