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どんな新作アニメや!?と思ったあなた、ダウトw
はい、時かけの感想の蛇足です。
ここ数日の体育云々の思考につながる出発点を、少々模索してたんですが、自分の中で暫定的な解答が出たので晒してみる。
それは、作品後半。千昭と真琴がキャッチボールをしているシーンでの千昭のセリフ。
「いーかげん女投げやめろ。肩で投げんだよ肩で」
このセリフになにか引っかかるものを感じていたのだが、やっとその正体が見えたのだ。
昔、小学生だったか中学生だったか、スポーツテストの時にボールを投げて飛距離をはかるというものがあった。記録が常に1桁だったワテは、投げるたびに「オカマー。ちゃんとなげろー。女みてーに投げるなー」などと揶揄され笑われていたのだ。
今の今まで、ボールを投げるだけで、なぜそういう揶揄をされるのか、さっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぱりわからんかった。
いつしか、そんな思考的断絶は脳の記憶ロックメカニズムによって、封印されていたわけだが、前述のセリフで、そこが綺麗につながったわけだ。
体育の得意なヤツ、さらには体育教師も含めると、彼らは他人の動作を感覚的に自分の動作へとトレースすることができるし、そのコツを掴むことも得意だ。
逆に体育の苦手な我々は、そうした認知に問題がある。自分の動作を笑われても、それが何を笑われているのか、何を改善すればいいのかといった情報を言語によって取り入れた上でなければ、認知できないのではないだろうか。
この辺の認知形態の違いは何から来るのだろうか。先天的なもの?後天的なもの?体質?気質?環境?
そして自分の得手不得手のルーツはどこにあるのだろうか。
まだまだ探索は続きそうだ。
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