古い記事で恐縮だが

産経ニュース

Jリーグでは“解決策”として、学年別ではなく能力に分けた指導や、スクール入校時期を4月に集中させず、年に2回にするなど、早生まれの子供も取り組みやすい態勢作りを各クラブに指導している。

えーと、学校体育の現場ではどうなの?
既に、学校体育においても下記の調査結果から

順天堂大学大学院生の真鍋清孝さんは一昨年、小学生775人に対し、体育に関するアンケート調査を実施した。その結果、早生まれの子供たちは、自分は運動ができるという自信を示した「運動有能感」が、他の月より低いという数値が出た。

運動有能感のなさが数値で出てるわけでしょ?
そもそも、そんな有能感を持たないまま育った人に対する対策はどうなってんの?
メタボリックシンドローム対策としての運動を推奨するなら、運動有能感を持てないまま大人になってしまった層への対策をきっちりやらない限り、健康系の行政主導のイベントに「同じ人ばかりが来る」スパイラルから抜け出せないと思うんだがなぁ。
ついでに言うと、そういう運動有能感を持たない層を取り込むことを考えていかないと、中期的に見たスポーツ業界の拡大にも限界が見えてくるわけで。
そろそろ恨み言が出てきそうなので別の資料を出そう。
岡山大学岡山大学大学院社会文化科学研究科(文学部・心理学領域兼担)・長谷川研究室http://www.okayama-u.ac.jp/user/hasep/yh-seminar/より2003年5月28日の記録を見る。昨日のリファラからたどり着いたものだ。
この中で、学習性無気力の説明として、このようにある。

自分の反応や行動と関わりなく嫌悪刺激が与えられるなどし、それが自分では何をしてもコントロールできないこと(コントロール不可能性)を経験的に繰り返すと、無気力になる。

自分の事例と比較しつつ一つ一つ見ていこう。

自分の反応や行動と関わりなく嫌悪刺激が与えられる

「こっちは一生懸命まじめにやってる」=自分の反応や行動
のに
「教師から『マジメにやれ』などといわれる」「生徒から役にたたねーなどと言われる」=嫌悪刺激が与えられる
そして

(コントロール不可能性)を経験的に繰り返すと、無気力になる。

「一生懸命まじめにやって」も、周囲から「まじめにやってる」とされる行動に結びつかない=コントロール不可能性
それが、体育の時間ごとに繰り返される=経験的に繰り返す
「運動は一生懸命やってもダメなんだ」と思いこむ=無気力になる
はい、学習性無気力のできあがりっと。
と、ここで終わると単なる恨み言になるので、次へ持って行こう。
で、ワテが今やってることは、そのページ内のコメントにある

そのような状態では、ある程度周りから、その人に結果が随伴する経験を、簡単なものから薦めていくことが必要かもしれない。うつ病の人に頑張れとか励ますのは危険とされるが、結果のない状態でそのようにむやみに励ますのは義務感や焦燥感に襲われるだけであるし、結果が得られたことを当人が実感した上で、褒めたり励ましたりすることが望ましいだろうと思う。

まさにコレにあたるわけだが、これを実際に一般のスポーツジムなどでやってもらおうと思うと、とんでもないカネを積んで専属トレーナーを用意せねばならなくなるわけだ。
教育行政の現場における瑕疵が原因で学習性無気力に追い込まれているのに、本人が高いカネを出して治療せねばならんのだろうかと疑問に思う。「同じ人しか来ないのは問題だ」と言うのなら、そろそろ過去の行政の過ちを認めて、対策にカネを出すべきじゃないかと思うが、それができないからこその「お役所仕事」なんだよなぁ…。