結局のところ

小学6年のときの走り高跳びで、みんながまたいで越えている高さを、跳んで越えたら笑われた経験は、今現在「がんばってる姿や表情を見られたら笑われる」という思い込みにつながってるんだろうな。
それと、「体育の時間は、一生懸命やって、成功しても笑われたり怒られたりするし、失敗したら殺される勢いで罵倒される時間」という図式が、このときにできあがったのかもしれないな。
結局、スポーツ選手を揶揄して笑いものにしようとしてしまう俺のセンスも、この時の裏返しなのかもしれない。「いくらがんばって結果を出してる奴でも、中身がスポーツなら嘲笑っていいんだ」みたいな変な価値観がついてしまったのだろう。それは間違ってるんだけどね。