↑の件でせんせーから見解貰った

ので、適当にまとめてみる。

どこかを動かそうとして、関係ないところがつられて動くのは、そんなに珍しいことじゃないと思われる。
しかし、これはアスペルガー症候群もしくは高機能自閉症と関係があるのかもしれないけど、「なんか関係ない部位が動いとるな」という感覚が意識にフィードバックされなかったことの方が、問題点だったのかもしれない。
こうした問題は、ある程度の年までいくと、その感覚に気付いて、自分で挙動を補正していく。

実際、ワテはガキの頃に耳かきをされると、なぜか手を上げる癖があった。耳かきのたびにそれを指摘されて手を押さえられたので治ったのだが。

しかし、こうした問題が、学校現場で起きると、生まれ月のハンデもあるし、それを差し引いても、第二次性徴までの発達が他より遅かったと思われる点がある。
要は周りよりその辺の調整力の熟成が遅かっただけではないかと思われる。
もし、真性のアスペルガー症候群ではないとすると、周りとのコミュニケートがとりにくかったなどのエピソードを見る限り、「自閉症的体験」は、発達遅症としか言えない。
厳密に言えば産まれ月のハンデと、アスペルガー症候群と、それ以外の発達遅症、それぞれの比率は不明だけど、それぞれに可能性はあったといえるだろう。

確かに、行進を爆笑した小学校教師に「オマエ9組(特殊学級)行った方がええわ」とか「オマエ、知恵遅れちゃうんか」と面と向かって言われたことがある。侮蔑的文脈で言われたので、侮蔑の一環だと思ってたのだが、その指摘はあながち的はずれでもなかったかもしれない。もっとも、その指摘をするに当たっての配慮があまりに欠けすぎていたのは言うまでもないだろう。

たとえ一つ一つの要素が軽微だったとしても3つとものハイブリッドだった場合、通常の教員訓練しか受けていない教師が、その生徒を看ることはかなり難しいと思う。
シビアに言ってしまうと、その学校の問題点は、単に先生の質の問題だけでなく

  • 生徒とその親も含めた、地元の風土・治安の問題
  • 明確な障害児でない発達遅症の子への対処

といったものがあげられる。

ついでに、余談として、こんな話もあった。

日本は風土として、「オトナになればなんでも自力でできる」という妄信と、「努力で資質の無さは大抵カバーできる」という誤った認識が蔓延してるので、生活や教育における運用論が薄いという弱点がある。
精神論を伴わない運用論が、人に対する冒涜とでもいうような雰囲気がある。実は運用論を伴わない精神論の方が冒涜なのだが。