体育とスポーツがごっちゃになってるせいもあるかと

スポーツが今のままなら無理だけど - /ja あやつる YmrDhalmelからトラックバックをいただいたので答えてみます。
既にこのblogでも多々語っているように、私の経験の中では小学校・中学校の体育教育の現場において、「スポーツ」と「体育」の負の側面が、劣悪な体育教師によってハイブリッドな状態に置かれていたわけです。
「スポーツ」の側面については、ルールを知っていることが常識とされ、知らない者は非常識なマイノリティとして差別をした上で、ゲームをやるように指示して放置しているだけ。
「体育」の側面については、適切な指導をしないまま、できない者を晒し者にしてあざ笑うばかり。
これが、まともな「教育」と言えるのかということさえも疑問に思うような状況だったのです。こんな状態で「人を思いやる」「弱いものいじめをしない」「ルールを守る」ということを学ばせるのは、確かに不可能でしょう。また、私の経験、特に学校生活においては、スポーツをやっている人たちに上記のことを学んでいたように見受けられたシチュエーションは無いと言ってしまってもいいくらいの状況だったわけです。できない人を思いやって、スキルを教えようとする人は皆無でしたし、できない人こそがいじめや誹謗中傷の標的になっていましたし、できない人が偶然にファインプレーをしたとしても、「今のナシなー、ノーカンノーカン!」などと言ってルールを作り替えるなんて場面もあったわけです。こうした行動は、主にスポーツ少年団や、運動系の部活でスポーツの大会を目指していた者によって行われたものであり、こうした行動に多数触れてきた自分としては、スポーツによっても、

「人を思いやる」「弱いものいじめをしない」「ルールを守る」ことの大切さを満遍なく伝えられるのはスポーツ以外にない。

という発言を疑わざるを得ない状態に置かれていたわけです。
確かに、その原因は

現在の体制では、学校もクラブも中途半端になってしまっている。「プロ」のノウハウを持った指導者が不足している。

こうした状況から生み出されたものかもしれません。
そんな状況の中、小中学校の9年間を過ごしてきた後に、国体強化という名目で、ひょっとしたらプロのノウハウを持った指導者かもしれない人に、「スポーツ」に誘われたわけですが、時既に遅し。スポーツも体育も自分にとってイヤなことを押しつけられるだけのものとして、骨の髄まで刻み込まれてしまっていたのです。