ブクマコメントが広がりを見せていて

様々な見解が見えておもしろい。
ただ、これは自分の立ち位置として、はっきり主張しておきたいのだが、学校にいた12年の間の体験は「スポーツマンシップ」という言葉に疑いしか持たなくなるのに必要充分すぎるほど、マイナスの体験が多かったわけだ。
ブクマコメントや「このエントリを含む日記」も全て目を通せば、言葉の上ではスポーツマンシップの本来の意味を理解することは可能かもしれないと思える。だが、それを覆い隠し、「スポーツマンシップ」という言葉を聞くだけで「ああ、いじめをやるための詭弁でしょ?」とか、「言葉の意味を深く検証しようともせず、尊重などというものは、SM的な指導のためのツールにしかなってないヤツらにそんなこと言われても、選手宣誓のための定型文としてしか機能してないじゃないか」などと、脊髄反射的にそういうイメージが想起されるのも事実なのだ。
何故にこんなことになってしまったのか。自分だけが悪いということではないはずだ。