カーツ体験会
徳島方面にタバコ買いに行ったついでに、2007年の競泳水着のカタログを貰おうと立ち寄ったスポーツ屋でやってた。
なんか、PCに計測器つないでごそごそやってたので、おもしろそーと思って見てたら、なんか流れで計測することにw
で、計測結果はこんな感じ
コンサルティングがあったので、
- アスペルガー的傾向が疑われてること
- 劣悪な体育教師にあたり続けたこと
- そのためジムに行くとフラッシュバックのような現象がおきること
をぶちまけてきた。そうすると、ある事例を話してくれた。そのうち印象に残ってるモノを記憶だけで書いてみる(ぉ
ある高校の野球部に指導に行ったときのこと。監督がいつも「姿勢をよくしろ!」と怒鳴り散らしてるのだが、一向によくならない。そこで、このコンサルの人が行って、これこれこういう風にすると姿勢がよくなりますよ。と指導したところ、あーら不思議、あっと言う間に姿勢が改善されたそうな。監督も「ああ、そういう風に言えばいいのか」と目鱗だったようだ。
○○をしろ!というのはかんたんだが、そのために何をしたらいいのかということが言えないorわからないor知らない指導者は意外に多い。だから、我々(カーツ指導者)はその方法を伝えていかなくてはならない
聞いたことを記憶で書いてるので、ワテの印象が多分に入ってるのでアレだが、スポーツが得意で体育教師になったタイプとは違い、企業のコンサルタントは、クライアントの身体の状態を把握して、その人に合ったトレーニングメソッドを提供しないとモノが売れないわけだ。
こう言ってはなんだが、メソッドを覚えるにあたっての逼迫度が公費で飼い殺しにされているだけの体育教師や、ただのボランティアとは雲泥の差なのだ。
さて、そんな会話をした後に、計測結果に赤ボールペンでコンサルタントがなにやらごりごりと記載しながら計測結果の説明をしてくれた。この数字はワテの年齢や体重での平均値だそうな。それによると、筋肉の量自体は平均以上なのに、脂肪が多すぎるために、筋肉の割合が平均値以下になっちゃってるそうな。一方筋肉バランスは右上肢/左下肢が多くて、左上肢/右下肢が少ないという状態らしい。
その後、んじゃ、ちょっとこーいうのやってみましょー的な感じで以下のようなトレーニングのやり方を教えてくれた。
- 立ち姿勢
- 体重をかかとで支える感じで立つ
- この状態で伸びをしてみると、肩と肋骨が開いて身体がきちんと伸びてる感じがする。
- 伸びが終わったあともかかとに体重を掛けることを意識すると、自然に肩と肋骨が開いた姿勢が取れる。
立ち続けるのにも、この姿勢なら楽な感じがした
- 腰の回転
これが、不思議なことに腰がよく回るのだ。
- 腕の回転
- 腰の回転の時の腕を前に出した状態。
- そのまま腕を左右に広げる。で
- 手をパーにする。このとき、親指が右手は下に、左手は上に向いた状態になる
- 親指をきっかけに回す感じで、腕全体を回転させる
これをやった後に、腕を曲げて肩を回し「どう?楽でしょ?」と言われたのだが、このとき、いつも左の肩で起きる「コキン」というイヤな音がわずかしか鳴らなかったので、効果が実感できた。
- 骨盤リフト
- 骨盤から脚を持ち上げる感じで、膝を自然に伸ばしたまま脚を交互に持ち上げる。
- このとき、腹膜筋を斜めに動かすことを意識する
- 骨盤歩き
- 骨盤を先に出す感じで歩く
- 着地はかかとから
- これは、みけたんせんせーに教えてもらった腰ツイスト歩きとほぼ同じ。
と、まぁ、こんな感じでやってみたが、最後の最後まで「これ買ってね」と言わないし、一つ一つの動作に対して「そうそうそう。できてるできてる」「ほら、○○な感じになるでしょ?」と褒めるところに好感が持てた。
また「身体の資産はきっちりあるんだから、脂肪を減らせばいい感じになるよ」という見解もみけたんせんせーのそれと同じだ。
さらに、このコンサルタントは、いつも体験/指導会に来るクライアントを一目見れば「サボってる」「がんばってる」「○○のあたりが伸びてない」ということがすぐわかると言っていた。
このときに言えなかったが、高校の時に槍投げに誘った教師は、ひょっとしたら「資産がある」ということには気づいていたのかもしれない。
いずれにせよ、優れた指導者であるということはよくわかった。何せ彼は、山本五十六のこの言葉を実行していたのだから。
「やってみせ、説いて聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」
なんか、カーツのCMみたいなエントリで、自分でもイヤだが、目鱗が多々あったので、記録しておく。
決して、説明会に行ったり物を買ったりすることを勧めたいわけではない。
ここから、優れた指導者とは何なのかということを読み取っていただき、運動音痴の再生産にわずかでも歯止めがかかれば幸いだ。
dhalmelさんのとこからトラックバック来てたので
見に行ってみたところ、すんげー大物を釣ってたので、尻馬に乗って感想を述べてみる。
http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/mishima_sport.htm
まず、三島の文章として、以下のように引用されている。
学校スポーツの隆盛時代とはいいながら、選手と部活動が独占権をふるっており、一例が高校・大学のテニスコートでも、部員以外のものが自由に使用する余裕はほとんど与えられない。(中略)社会の技術化専門化細分化が、学校教育にまで早くから影を投じているのである。
http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/mishima_sport.htm
私は自分の少年時代を思うにつけ、体力や才能に恵まれぬばかりに、スポーツの門から永久に拒まれているかわいそうな少年の面影が目にうかぶのである。一つぐらい、対校試合にも一切参加せず、そのかわり学生全部の体位向上に、個々人の能力に応じて十分注意を払う学校が出て来てもいい筈である。
こんにちは、スポーツの門から12年間罵倒され続けてきた俺です(何
いや、俺もファンになりそうだわ(ぉぉぉ
さらに三島の文章として…
社会人のスポーツというと、見るスポーツだけ、行うスポーツはゴルフだけ、というのが現況であって、社会生活の烈しさが増すにつれて、三十代で早くも老化現象を起す人たちがますます増加する。
http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/mishima_sport.htm
(中略)社会人は、暇もなければ、その機会もない。たまたま勤め先に道場や体育館があっても、実業団の選手に独占されている点では、学校と同じである。
実は、ワテが行ってる会社にも体育館とテニスコートとだだっ広いグランドがあったりするが、そこは会社にいる経験者か実業団の選手に独占されているのが実情だ。もっとも、経験者に声を掛ければ仲間に入れてくれるのだろうが、レッスンをしてくれるとは思えないので、声を掛けることはできないし、それ以前にそんな声掛けをする勇気はカケラもない。
そこで、「勇気なんていらねーだろ」と思った貴方は、ウチの日記の過去ログを全部読んでから言えるものなら言ってみやがれ!(何
さらにさらに、三島の文章を引用した上で、この記事を書いた西山正義氏はこう述べている。
オリンピックを機会にこれほど各種の競技場が新設されても、それは選手および観客のためのものであって、素人が自由にスポーツを行う場所ではない。
たとえば私は空想するのだが、町の角々に体育館があり、だれでも自由にブラリとはいれ、僅少の会費で会員になれる。夜も十時までひらいており、あらゆる施設が完備し、好きなスポーツが気楽にたのしめる。コーチが、会員の運動経験の多少に応じて懇切に指導し、初心者同士を組み合せて、お互いの引込み思案をとりのぞく。そこでは、選ばれた人たちだけが美技を見せるだけではなく、どんな初心者の拙技にも等分の機会が与えられる。……こういうスポーツ共和国の構想は、社会主義国でなければ実現できない、というものでもあるまい。このあたりの事情は、さすがに三十年を経て、多少は良くなっている。町の角々とまではいかなくても、公営の体育館なども整備されつつあるし、一時はブームに乗って高額の入会金を強いられた私設のスポーツ・クラブもだいぶ開放されてきて、サラリーマンやOLが、会社帰りにスポーツ・ジムに寄って一汗かくというような光景も珍しくなくなってきた。
http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/mishima_sport.htm
それでも、誰もが手軽にというほどには普及していないのが実情である。運動経験のほとんどない者や高齢者、障害のある人にとっては、依然敷居が高い。
あい、まさにその通り。敷居は高いわ、その敷居を泣き喘ぎながらよじ登ってみたら、やっぱり運動経験がないと、どーしよーもない世界があったわけで。
まぁ、コストダウンするために、マニュアルに従った指導しかできないのも仕方ないし、人口割合として少ない方にあたる「運動経験のない人」のためのマニュアルを作っても、そんな人はまず客にならないため、利益につながらない。よって、こうした産業においては、「運動経験のない人はいない」ということにされてしまうのだ。
そして、この文章の後、西山氏はこう述べている
いや、日本人の悪い癖で、堅苦しく考えるからいけないのだ。やれウェアーを揃え、シューズを揃え……。ラジオ体操も真剣にやればけっこういい運動になる。急に本格的にやっても体を壊すだけだから、一日十分程度のストレッチ体操だけでもいいのだが……。一人ではなかなか続けられないということもある。
「マズい仕様は運用でカバーする」という考え方でメニューをつくってくれたみけたんせんせーの考えも同じだ。
自室でさえストレッチができないなら、会社の喫煙所でできることを組み立ててみたわけだし、実際にそれで効果が上がっている。
ワテをレイプしてきた(言い過ぎ)劣悪な体育教師どもは、「そのくらいやってもかわんねーよ」*1と放言するだろう。
「んなこと言わねーよ」と言うのなら、ここに名前晒して反論してみやがれ!(オチツケ
さて、話があぜ道にそれたので戻そう。
三島のこの文章は東京オリンピックの際に新聞に掲載されたものだそうだ。つまり今から実に40年以上も前に書かれたことなのだ。ワテが学校にいた頃からしても、最小で16年前の話である。それだけの時間が経過していたというのに、三島が嘆いた状況は何も改善されてなかったわけだし、高校の時に誘われた際にも、こうした状況と、そこから生み出されたであろう負の結果に対応するスキルを持ち合わせた指導者は、少なくともワテの周りにはいなかったわけだ。
40余年がたって、やっと改善の成果がワテの手元にも来たと喜ぶべきなのかもしれないが、それ以前の状況を考えると素直に喜べないのが正直なところだ。
*1:実際にこれに近いことを言われた記憶があるが、ちょっと曖昧
そこで、「キャズム」ですよ
というわけで、キャズムという概念を持ち込んでみる。
まずは、この記事を見ていただきたい。ブログはキャズム(ハイテクの落とし穴)を越えてブレイクするのか?:Goodpic
ジム・スポーツクラブに行ったり、今日の昼のカーツ体験会のようなものに自発的に行くという行動にも、この概念が当てはまるのではないだろうか。
というわけで、それぞれの層に運動行動を当てはめて考えてみようとしたが、いまいち考えつかんので、今日はとりあえず概念の提示のみにしとこう(ぉぉぉ
いずれにせよ、ワテがレガード層に長らく所属していたことは言うまでもないし、この場合のキャズムはレイトマジョリティ層とレガード層の間にも深くて暗いものが存在するであろうことも明確だと思う。
もっとも、キャズムがそこに来ているという時点で、スポーツ産業は成熟しているのかもしれない。なぜならキャズムの左側の層が厚いため、右側の層への普及方法は考えなくて済むからだ。