dhalmelさんのとこからトラックバック来てたので

見に行ってみたところ、すんげー大物を釣ってたので、尻馬に乗って感想を述べてみる。
http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/mishima_sport.htm
まず、三島の文章として、以下のように引用されている。

 学校スポーツの隆盛時代とはいいながら、選手と部活動が独占権をふるっており、一例が高校・大学のテニスコートでも、部員以外のものが自由に使用する余裕はほとんど与えられない。(中略)社会の技術化専門化細分化が、学校教育にまで早くから影を投じているのである。
 私は自分の少年時代を思うにつけ、体力や才能に恵まれぬばかりに、スポーツの門から永久に拒まれているかわいそうな少年の面影が目にうかぶのである。一つぐらい、対校試合にも一切参加せず、そのかわり学生全部の体位向上に、個々人の能力に応じて十分注意を払う学校が出て来てもいい筈である。

http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/mishima_sport.htm

こんにちは、スポーツの門から12年間罵倒され続けてきた俺です(何
いや、俺もファンになりそうだわ(ぉぉぉ
さらに三島の文章として…

 社会人のスポーツというと、見るスポーツだけ、行うスポーツはゴルフだけ、というのが現況であって、社会生活の烈しさが増すにつれて、三十代で早くも老化現象を起す人たちがますます増加する。
(中略)社会人は、暇もなければ、その機会もない。たまたま勤め先に道場や体育館があっても、実業団の選手に独占されている点では、学校と同じである。

http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/mishima_sport.htm

実は、ワテが行ってる会社にも体育館とテニスコートとだだっ広いグランドがあったりするが、そこは会社にいる経験者か実業団の選手に独占されているのが実情だ。もっとも、経験者に声を掛ければ仲間に入れてくれるのだろうが、レッスンをしてくれるとは思えないので、声を掛けることはできないし、それ以前にそんな声掛けをする勇気はカケラもない。
そこで、「勇気なんていらねーだろ」と思った貴方は、ウチの日記の過去ログを全部読んでから言えるものなら言ってみやがれ!(何
さらにさらに、三島の文章を引用した上で、この記事を書いた西山正義氏はこう述べている。

 オリンピックを機会にこれほど各種の競技場が新設されても、それは選手および観客のためのものであって、素人が自由にスポーツを行う場所ではない。
 たとえば私は空想するのだが、町の角々に体育館があり、だれでも自由にブラリとはいれ、僅少の会費で会員になれる。夜も十時までひらいており、あらゆる施設が完備し、好きなスポーツが気楽にたのしめる。コーチが、会員の運動経験の多少に応じて懇切に指導し、初心者同士を組み合せて、お互いの引込み思案をとりのぞく。そこでは、選ばれた人たちだけが美技を見せるだけではなく、どんな初心者の拙技にも等分の機会が与えられる。……こういうスポーツ共和国の構想は、社会主義国でなければ実現できない、というものでもあるまい。

 このあたりの事情は、さすがに三十年を経て、多少は良くなっている。町の角々とまではいかなくても、公営の体育館なども整備されつつあるし、一時はブームに乗って高額の入会金を強いられた私設のスポーツ・クラブもだいぶ開放されてきて、サラリーマンやOLが、会社帰りにスポーツ・ジムに寄って一汗かくというような光景も珍しくなくなってきた。
 それでも、誰もが手軽にというほどには普及していないのが実情である。運動経験のほとんどない者や高齢者、障害のある人にとっては、依然敷居が高い。

http://homepage3.nifty.com/masayoko/essay/mishima_sport.htm

あい、まさにその通り。敷居は高いわ、その敷居を泣き喘ぎながらよじ登ってみたら、やっぱり運動経験がないと、どーしよーもない世界があったわけで。
まぁ、コストダウンするために、マニュアルに従った指導しかできないのも仕方ないし、人口割合として少ない方にあたる「運動経験のない人」のためのマニュアルを作っても、そんな人はまず客にならないため、利益につながらない。よって、こうした産業においては、「運動経験のない人はいない」ということにされてしまうのだ。
そして、この文章の後、西山氏はこう述べている

 いや、日本人の悪い癖で、堅苦しく考えるからいけないのだ。やれウェアーを揃え、シューズを揃え……。ラジオ体操も真剣にやればけっこういい運動になる。急に本格的にやっても体を壊すだけだから、一日十分程度のストレッチ体操だけでもいいのだが……。一人ではなかなか続けられないということもある。

「マズい仕様は運用でカバーする」という考え方でメニューをつくってくれたみけたんせんせーの考えも同じだ。
自室でさえストレッチができないなら、会社の喫煙所でできることを組み立ててみたわけだし、実際にそれで効果が上がっている。
ワテをレイプしてきた(言い過ぎ)劣悪な体育教師どもは、「そのくらいやってもかわんねーよ」*1と放言するだろう。
「んなこと言わねーよ」と言うのなら、ここに名前晒して反論してみやがれ!(オチツケ
さて、話があぜ道にそれたので戻そう。
三島のこの文章は東京オリンピックの際に新聞に掲載されたものだそうだ。つまり今から実に40年以上も前に書かれたことなのだ。ワテが学校にいた頃からしても、最小で16年前の話である。それだけの時間が経過していたというのに、三島が嘆いた状況は何も改善されてなかったわけだし、高校の時に誘われた際にも、こうした状況と、そこから生み出されたであろう負の結果に対応するスキルを持ち合わせた指導者は、少なくともワテの周りにはいなかったわけだ。
40余年がたって、やっと改善の成果がワテの手元にも来たと喜ぶべきなのかもしれないが、それ以前の状況を考えると素直に喜べないのが正直なところだ。

*1:実際にこれに近いことを言われた記憶があるが、ちょっと曖昧