朝になって改めて考えてみる(10:50までに少々修正&追記しました)

↑のエントリで
「踊れない人を踊れるようにする」ジムが儲からない理由を

一方、前者は、踊る楽しみを知って、それ以上のレッスンに手を出した時点で、そのレッスンからは離れていく。従って固定客がつきにくく儲からないし無理してその体制を続けると潰れる。よって比率的には後者よりずっと少ないということになるだろう。

と書いたが、経営の側面から見ると、そもそも「先生の真似をして踊れない人」なんてーのは、今のところマイノリティなわけだからして、生徒一人に必要なインストの人数が、比率として多くなってしまう。
すると生徒数を抱えられない=月謝が入らないということになる。
ジムやスポーツクラブといえど、大抵のところは一般的な私企業、ヘタすると地方中小企業が経営してることもあるわけなので、有限のリソースであるところのスタジオを使って、生徒数を稼げないレッスンをするのは、損だという経営判断をするのが自然な流れだろう。
たとえ、インストラクター個人やジム経営者が、そうした形態が業界として必要だと思っていたとしても、現実問題として経営判断の中で切り捨てられる体制は、取れないことは自明の理だろう。
もっとも、公共がスポンサーになっている「総合型スポーツクラブ」の中ならば、そうしたレッスンも可能かもしれないが、実際の運営を行っているのが、指定管理者制度で甘い汁を吸いまくろうと公共系事業にたかってくる大手スポーツクラブであるかぎり、そこには私企業的な経営判断が入るわけなのでいずれにしても無理があるだろう。

とはいえ、「総合型スポーツクラブ」が本来の理想としている、地域に根ざした運営、それも来る人同士でサークルを作ったりとか、さらにはNPOが営利をあまり追求せずに行えるようなプログラムを実施したならば、こんな流れも予想できる。

ここにド級運痴の人がいるとする。仮に金谷さんとでもしようか。この人が「超・ド級初心者向けレッスン! イントラの真似ができない人よっといで」なんて銘打ったレッスンにおずおずと入っていく。看板の端っこには「元々運動が好きな人はご遠慮ください。運動が苦手な方、他のレッスンでお手本の真似ができなくて困った方のためのレッスンです」と書いてある。
金谷さん、「これなら、怖くないかな」と自分を奮い立たせるようにつぶやいて入っていく。
さて、レッスンが始まった。
営利目的のジムでの「初心者レッスン」との大きな違いは、一番前でお手本を示す人と、生徒一人一人を見て、その人に合ったアドバイスをする人がいること。
実は、一番前でお手本を示しているのは、初心者レッスンを修了し認定されただけの人であり、このアドバイザーの方こそが、もっとも経験が深い「先生」なのである。
真似ができなくとも、そこをこうして、あそこをああしてと、足りない部分を適切にアドバイスされることによって、金谷さんはいままで自分が体験したことがないほどに身体を動かすことができ、また、身体を動かすことが気持ちいいと生まれて初めて実感することができていく。
そこには、「お手本」の真似ができる人もできない人もいるので、「アドバイザー」は真似ができない人にアドバイスをしていく。
一方、他の生徒さんも自分が超ド級運痴だった頃を思い出して、金谷さんをあたたかいまなざしで見守りつつ、既に手本を見ながらできるようになっているので、自分の運動量も確保できるし、彼らは手持ちぶさたになることはない。さらに言うなら、近い将来自分がお手本を示すようになるかもしれないわけなので、結構真剣にやることになるし、そのスタジオに「なんだよ、このトロいの。うぜぇな」なんて空気はICチップ工場の中の埃ほども存在しない。
さて、金谷さんの方だが、この人は入ってきてすぐで不安もあるし不慣れなわけなので、アドバイザーはきちんと気に掛けておき、金谷さんの不得意なところの情報を他のインストラクターと共有する。他のインストラクターはストレッチやマシントレーニングなどで、金谷さんの不得意なところをカバーするための方法を提供する。
こうして、金谷さんは半月ほどで、ジムの中で何度も感動を味わうこととなる。
一般的に感動を味わったユーザーというのは、そのサービスなり製品のファンとなる。
こうした流れを、上手にジムの業務としてシステム化すれば、定着率の高さを実現できると思うのだが…。
問題は、大抵のインストラクターは「自分が好きだから」その業界に入ってきているわけで、ド級運痴の人に対するアドバイスを思いつくところからして無理があるだろう。
しかし、営利のジムは、いうなれば「サービス業」なのである。顧客満足度を高めることを考えなければ、その産業の未来は暗いままなのではないだろうか。