押しつけられる「普通」

に し へ ゆ く 〜Orientation to Occident - 「同性愛者のいる社会」での身の処しかた〜『メルシイ!人生』に対してブクマコメント代わりに以下の部分を引用した。

同性カップルに限らない。国際結婚家庭、シングルマザー家庭、当人たちはそれぞれの幸せの中で「普通に」暮らしているのに、「普通じゃない」「かわいそうに」と世間が彼らを「異常」に仕立て上げる

さらに、この部分に対する注釈としてこうある。

身近にいる人間はそうではない。シングル家庭をサポートする地域社会、ダブルの子どもを大勢受け入れている保育所はたくさんある。偏見を持つのは、遠く顔の見えないところから観念的に外国人やシングルマザーや同性愛者を見ている人びとだ。

しかし、これが身近にいる人間であっても「かわいそうに」と「異常」に仕立て上げようとする者はいたりする。たとえば会社において、自分がシングルマザーの子供であることを、私は隠していない。
そのためか、飲み会などでその部分に言及する場合、大抵において
「ふじのところは、お母さんだけやけん、大変やの」
と「異常」に仕立て上げる。
さらには私がセクマイであることを知らずに
「早く結婚して家庭を持って、お母さんを幸せにしてあげなイカンで」
と、マジョリティとしての幸せを押しつけてくるのである。


運動音痴の話にしてもそうだ。4月6日のエントリで書いた話の後に、自分が運動に取り組んでるということを話したところで、彼らは「普通」の人ができて当たり前と思っている運動方法を押しつけてくるのだ。
さらに、こういう話をすると「難しいことはよくわからん」と言って逃げる。
彼らは、私に対して逃げてるだのヘタレだの言うが、じゃぁ自分はどうなのよと言いたくなる瞬間は多々あるのだ。
愚痴以上の話が思い浮かばないので、こんなことしか書けない自分がイヤになるが、以前、尾辻かな子さんに言われた「痛いと思った人が痛いって言わないと、誰も痛がってることを知ることはできないんですよ」という言葉に感銘を受けたことがあったので、とりあえずそれを実践してみた。


てかさぁ、「かわいそうに」という感情って、なんか見下してる感じがするのは私だけだろうかねぇ。