ブコメ(ry

http://d.hatena.ne.jp/RRD/20090123/p1http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/RRD/20090123/p1

「静岡工場」じゃなくて「静岡製作所」な。で、こーいうツッコミができる発達障害の俺が別の地域で御用派遣+偽装請負状態で「製作所」で働いてた罠。データ入力は天職だと思ってたのに営業に回されて倒れたわけで


http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090123/p1http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090123/p1

発達障害者の俺が通りますよ。12年も御用派遣で俺に合う仕事させてもらえてたのに「そろそろ行けるやろ」言うて元の会社の技術営業に呼び戻されて3ヶ月で倒れましたw/まぁ12年の間は困ってないんで手帳なかったんだが


前のエントリでも書いたが、「子会社」の技術営業で「役に立たない」とされて、「親会社」の「製作所」に「作業応援請負」という形で回された。
正直、小さな心労はあったものの、仕事自体は「いや、もう絶対ムリー!」なんてものじゃなく、自分に合ってたと思う。


だが、「自分に合って」いたから「困って」なかった。困ってないので「障害」という枠に入ることは思いつかなかったわけだ。
だが、小さな心労の積み重ねで心療内科に通ったり、心理学をやってた人に相談したりしてるウチに「発達障害」の可能性を指摘された。
発達障害者支援センターに行こうかどうしようか迷ってるちょうどそのとき、「子会社」から「もう契約更新しない」と告げられた。
「親会社」の人たちからは「なんで、今更。」という声を聞いた。
なぜなら、今までに、「親会社」から契約更新停止を持ちかけて、「子会社」がそれを拒んだ経緯があったかららしい。
自分も、正直、その職場を離れるのはイヤだった。何より、セクハラ・パワハラアルハラが当たり前な職場に戻るのがイヤだった。だから、「子会社」の上司から「要望はあるか」と聞かれた時にその職場だけは勘弁して欲しいと言った。
だが、配属されたのは、その職場だった。


その職場で自分としては必死で頑張ったつもりだが、評価は常に最悪で、毎日怒られたり、訳のわからない「冗談」でいじめられたりしていた。


ちょうどその頃、支援センターとも話ができはじめた。


そして、「ADHD」という診断を貰った1ヶ月後。
叱責され、過緊張で倒れて救急車で運ばれた。
日帰り入院で済んだのは不幸中の幸いだったんだろう。


あと、1年早く発達障害の診断が下り、手帳を手にしていたら、何か違っていたのだろうか。
今となってはそれはわからない。


せめて手にできた手帳を最大限に使って、合う職場が見つかればいいと思っている。


12年もの間、「隠れ障害者」が「合う仕事」で「派遣労働者」していられたのは、幸せだったんだろうと思う。

追記:
で、エントリうpしたら、id:muffdivingの人が綺麗にまとめてて流石だと思った。
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20090123

さらにいえば、障害者自助に携わる人も、その辺の問題は意識すべきかな。手帳もらってないけどボーダーラインの人についての受け入れ先として機能できないかと。そこで改めて見極めて、どう見ても手帳もらえるというケースについてはしかるべき申請+職業訓練とか。逆にスタッフとして働くというのもいいかも。

「製作所」にいる時も、仕事が遅いとかできない仕事が多いとかいろいろ問題はあったんだが、周囲に頭のいい人が揃っていたので、「ふじくんは、仕事のキャパシティーが少ないんやのー」なんて感じで、ある意味「受け入れて」もらっていた。
つまりは、「ボーダーライン」のおいらを「受け入れ」てもらえてたんだろうなと思う。


今となっては手帳貰えたので、どっか「受け入れ」てくれるところが、あるんじゃないかなーとか甘いことを考えていたりしますが。