ドッジボール噛みつき忘れ(ぉ

またもやJDBAドッジボール - 一般財団法人日本ドッジボール協会に噛みついてみるよ。
基本理念〜私たちが伝えるべき事〜より

ドッジが最適
他のスポーツや遊びでも、私たちが目的とする事柄は伝えられると思います。しかし、ドッジが最適であるのは、その間口の広さにあります。ひとつに、3世代、4世代に渡り実体験があるということです。しかも男女を問わずです。その実体験をもとに家族が話し合えるような種目は他に見当たりません。

その3世代、4世代に渡る実体験が、すべてポジティブな方向のものだと思ってるならおめでたい話ですな。
当然、運動音痴の家系ならば、その実体験はネガティブになるだろうし、話し合ったとしても怨嗟が渦巻く話にしかならないと思われ。
ドッジボールにしても、サッカーにしても、普及をしようとしてる割には、その種目によって、痛い目にあってしまったが故に、嫌いになっているヤツがいるということを、なぜ想定できないんだろうなぁ。
まぁ、想定したところで、儲けにゃ関係ねーから、想定しないんだろうけどさwwww

体育の中の球技の話。

そもそも、サッカーにしても、野球にしても、体育の時間に行われる時の想定が

  • ルールは知ってて当たり前
  • ボールを蹴る・投げる・捕るという技能が身についてて当たり前
  • (野球の場合)バットを握る・振るという技能が身についてて当たり前

という話になってるんだろうな。
そして、そういう想定のもとに授業を進める教師は、当然のごとく、その辺のスキルが備わってないヤツに対して、何のフォローもしないし、生徒にしてもそんなヤツを相手にしようとはしない。
相手にしたとしても、揶揄し、嘘を教え、できないことを蔑む言動ばかりだ。
体育会系の連中は文化会系の人間に向かって「ヲタクどもは、狭い世界に閉じこもって…」なんて言うが、体育会系の連中も「こんなの知ってて当たり前」という傲慢さを持っているのじゃないだろうか。そして、それはあくまで「競技をしたことがあり、それに敷居を感じない」一握りの人間の共通認識でしかないということに、なぜ気づかないのだろうか。
そんなわけで、「ヲタクどもは、狭い世界に〜」とおっしゃる体育会系の方には「お互い様」という言葉を贈ってさしあげたい。

コメント返し

「子供はみんなボールが好き」なんて全体主義的妄想を簡単に抱ける世のスポーツマンどもに限って、自分の身の上に全く逆の考え方が必要な例外が発生した時に、あわてふためいて、罵声を発するのでしょうな。
「まじめにやれ!」とか
「使えねぇな!」とか
「やればできるんだよ! オマエはやってないんだよ!」とかなw
あなた方の想定通りに動かないモノを目の前にしたときに、立ち止まって考える柔軟性を持たなければ、あなた方の好きなスポーツの普及はあり得ないと思いますけどね。

コメント返し2

>スポーツの得意なヤツ=プレイ中に簡単にブチ切れるヤツ
ああ、そのイメージはワテも持ってますw
特にサッカー部とかバスケ部といった、プレイヤーが入り乱れてやるタイプの球技系の部活の人間に、そういう傾向を持ってるイメージが強いです。
野球部はもうちょっと落ち着きはあるんだが、道上洋三氏が、「インターハイに出ることを、野球部の地方大会の壮行会の一番最後に『ついでに』紹介された」というエピソードを聞いたせいか、はたまた、高校の部活動をやってて、2年生で予算担当になった時に、野球部の予算が50万とか100万というのを見て、「高校野球の地方大会で毎年1回戦敗退でも、テレビに名前が出るところほど予算がつけてもらえるが故に、つけあがりやすい奴」というイメージがあったりします。
だから、野球選手やサッカー選手が強姦事件とか暴力事件とか集団キセル事件とか未成年喫煙事件とかひき逃げ事件とか起こしても、「ああ、やっぱりやった?」というイメージにしかなりませんwww
つーか、犯罪件数で見れば体育バカの方が、よっぽど犯罪者予備軍じゃね?w

運動音痴から見た体育バカの価値観。

体育バカどもには、

  • 身体を動かして汗をかく=努力
  • 頭をつかって物事を考える=努力じゃない

という変な価値基準があるんじゃないかと、こないだ友人Sに言われてとても納得できた。

我々体育嫌いが、体育において学習性無気力となっているのと同じように、彼らも、座学において、学習性無気力を獲得してるが故に、そんなものは努力とは言わーん!とか言うて逃げている。そうして、彼らの「頭を使う=努力じゃない」という価値基準が作られていくんじゃないだろうか。

その価値基準を逆に当てはめるなら、スポーツ選手になった奴がすごいというが、単に大好きな遊びをやっていて、それが、偶然金儲けにつながるようになっているだけなのだ。

しかし、体育嫌いと勉強嫌いには大きな差がある。これはみけたん先生の意見だが、体育嫌いは、体育がイヤだし、体育がしんどいことを重々思い知っているが、勉強嫌いは、勉強はイヤだけど、勉強をすることもしんどいということを理解してない。

だから、奴らは、体育が嫌いな奴のことを想定できないし、そういった奴らを簡単にさげすむ狭隘な性格を獲得するのではと思う。また、スポーツ選手になるプロセスで、体罰を被るということがあるが、他人が行っている、質の違う苦労を想定できないが故に、「自分がされたから」という理由で他人にも軽々しく暴力を振るう。
かくして、そうした暴力的傾向を持つ体育バカは再生産されていく。
このプロセス、児童虐待と非常に似てる気がするのはワテだけだろうか。

自分のこともたまには

下肢が弱いというハナシで、ひょっとしてと思ったこと。
ワテは、むかしから「落ち着きのない子」とよく評されていた。
「きをつけ!」と言われて、じっとしていられないのだ。
今でも、立っていなければならない場面で、足を組んだ状態にしたり、戻したり、足を開いたり閉じたりして、とにかく「立ったままの姿勢でじっとする」ということができない。
さらに、そんな風にごぞごぞしてるウチに、バランスを崩してとととっと倒れそうになったりもする。
これって、ひょっとして、下肢コントロール機能に問題があるから?
てか、ここまで来たら、要リハビリレベルだよなぁ。
小学校1年の体育で、病気療養中の内容を履修させなかった、教育委員会と学校と教師にリハビリ費用請求する行政訴sy(ry

カニ歩きメモ追加。

足を動かす時は、かかともしくは母指丘(親指の付け根のところのふくらみ)を中心に回転させるように動かす。

かかとはなんとなくわかったのだが、母指丘がわからなくて、裸足のときは親指とか中指のあたりとか、靴を履いてるときは、つま先を軸に回してみたり、膝を曲げて足を持ち上げてみたり、はたまた、動かさない方の足に体重を掛けて、どこが中心なのかよくわからないような回し方をしてたので、センセーに「足もちあげちゃー意味ないよね?」と質問したところ、「説明してなかったね。ごめん」というコメントとともに、上記の回答があった。
でも、一般の体育の先生にこのレベルの質問したら、「ふざけんな!」って返されるか、もしくは足を上げて動かしてるのが見つかった時点で「マジメにやれ!」って返ってきて終了だろうな。
想定外でごめんなさい(何
そして、落ち着いて説明してくれるセンセーGJ。

またもや昔話

小学校とか公園においてある遊具で、まん丸いカタチをしたジャングルジムのような物体が、くるくると回るものがある。
ググるさんに聞いてみると、この物体グローブジャングルと言うそうだ。
で、ワテがこの遊具で遊ぶ時は、中にある鉄板に乗って、くるくる回すのが好きだった。
しかし、ある日。誰かが「オマエもぶらさがってみーや」と言う。「いかんいかん!落ちるけんいかん!」と言うワテを、数人がかりで無理矢理球状の外側にぶらさがらせるガキ(ワテもガキだったが)ども。
逃げられないように何か脅されたような曖昧な記憶もあるが。
そして、勢いよくグローブジャングルが回った次の瞬間。ワテの身体は宙に浮いていた。その次の瞬間に近づく地面。そして激痛。火が付いたように泣くワテ。下を見ると、あごのあたりからボタボタと血が流れ落ちている。泣き声に集まってきた上級生と教師が、ワテを保健室まで連れて行ってくれる。
保健室に入ったワテを見た養護教諭は、びっくりした顔をしていたように思う。泣きやまないワテを慰めながら、応急処置をしてくれる養護教師。しかし、いくら止血しても血は止まらず、ワテはタクシーで病院に送られた。
今思えば、なぜ救急車じゃなかったのかちょっと疑問に思うが。
そして、病院に着くや否や、痛い注射をされた。医者は「ちょっと縫うから痛いかもしれんけど、我慢してなー」と言った。そして下唇のさらに下あたりを、何かがはい回り、通って行く感触がした。その数4回。つまり、4針を縫う怪我をしていたのだ。
このときの傷は、未だに残っている。
「ぶらさがる」=「危険」という認識ができあがった、昔の記憶だ。